コミュ障ニートのONです。僕は性格がほぼ正反対の友人と同居していたことがあります。その友人の言動を見ていて不思議に思ったことの1つがこの正々堂々というものです。タイトルにある通り正々堂々という言葉は自分に有利なルールを作る卑怯者か視野が狭く外のことに関して非難する馬鹿だと思わされました。
皆さんの周りにも一見正しいように思えて本質も何もかも見えていないきれいな言葉をいう人もいるかもしれません。正々堂々に限らず、ことの本質を見れるようになるべきだと思います。
正々堂々は卑怯か馬鹿と思った経緯
同居していた友人が正々堂々とという単語を使って僕を非難していました。
しかし、僕には疑問でした。何故なら、
- 株式投資をする
- 面接を複数社同時に受ける
- 面接時や電話でのやりとりは好印象を持ってもらうために明るく話す
ということについて正々堂々という単語を使っていたからです。
僕に限らずこれくらいのことは当たり前ではないでしょうか。はっきり言って同居した友人は良くも悪くも一般常識がほとんどありませんでした。同居した友人についてはこちらの記事で詳しく話しています。
そのため、僕はこいつ何言ってんだ?と思うのと同時に友人のようなタイプのせいで迷走させられている人もいるのではないかと思いました。
当たり前のことをしたり、自分の意見を言ったら卑怯と断じてくるわけです。
勿論、その時の状況によって正々堂々の意味が正しかったりしますが、そういった場面はほとんどないと思います。今回は正々堂々ということを下手に意識すると、又、正々堂々という言葉を使う人は卑怯か友人のような常識のない馬鹿である可能性が高いと思っているので、そのことについて話していきます。
正々堂々の意味
- 態度や手段が正しく立派
- 恐れたり怯えることなく立ち向かうさま
- 軍隊などの陣構えが整い、勢いが盛んなさま
というのが正々堂々の意味です。普段は1つめの意味でつかわれることが多いのではないでしょうか。
僕は正々堂々の意味の解説をしたいわけではありません。僕は時と場合によります(これは当たり前の前提ですが)が正々堂々という言葉は相手を弱体化させる、又は、自分の世界に閉じこもる魔法の言葉だと思います。
世の中にはルールや倫理があります。その範疇を超えるのは僕も反対です。にもかかわらず、なんかそれっぽいことを考えて自分の常識が正しいという顔をしてくる人もいます。
そのため、正々堂々は世の中を知ろうとしない馬鹿か自分の得意分野以外は認めない卑怯な言葉だと実感しています。
正々堂々とした喧嘩
友人と同居していたころの話しです。
身体鍛えて喧嘩で勝てるようにしたい。がん飛ばしてきたり、後輩がやられそうになった時に助けたい
以下省略
ON
相手が武器とか持ってたり、股間やみぞおち狙ってきたらどうすんの。俺だったらそうするよ
ボクシング習ってる人にそんなの通じない。第一正々堂々と戦うべき。
アメリカ行って銃向けられたら正々堂々と戦えとか言うのかな
後輩を助けたいというのは立派だと思います。しかし、正々堂々と戦えとは意味がわかりません。
考えてもみてください。世の中には筋力に優れた人がいれば、頭が回るのが早い人もいます。僕個人の見解ですが、喧嘩は自分の持てる力を全てだすものだと思います。
そもそも喧嘩にルールなんてありません。
武器を持ったら卑怯。頭を回して弱点を狙うのは卑怯。本人はボクシングをしているので、素手の喧嘩に有利です。そのことを考えると「俺はボクシングを習っているし身体も鍛えているから、弱点をつく、武器を持つのは無しな。俺が不利になるから。」と言っているようにしか僕には聞こえません。
人には人の戦い方があるはずなのに、勝手に自分に有利な状況を作ってそれを正々堂々と言います。本当に手段が正しくて立派でしょうか。
楽して稼ぐのは卑怯
本人曰く株やマルチは楽に稼いでいるらしいです。よくよく聞いていくと汗水流して働くことが1番偉いという考えが根底にあることがわかりました。
マルチ商法や株は楽して稼いでいる
1回やったことがある人には特にわかりますが、マルチ商法も株も楽に儲かりません。楽に儲かるなら何故マルチ商法は悪印象ばかりなのでしょうか、儲からないのでしょうか、何故株で破産するのでしょうか、僕は儲からなかったのでしょうか。
本人は身体を動かして汗を流すことで給料が手に入ると思っています。実際に、コンサルタントや商社マンが自分よりも給料が高いことに疑問を感じていました。
給料は会社に利益を運んできたらその一部が還元されるものです。つまり、どれだけ、会社のためにお金を運んできたり、会社の貢献をしていたかが重要視されていると僕は考えています。
友人の文句は会社に言って改善してもらうか、利益率が高い、給料が高い会社に転職するか、副業でもやればいいのにと思って聞いていました。
仕事の世界で汗水を流して疲れることが正しい、素晴らしいと誰が決めたのでしょうか。
正々堂々は視野を狭くする
ここまで、友人の例を出して正々堂々がいかに卑怯か世の中を知らない世間知らずが使う言葉かを話してきました。
正々堂々と思うのは勝手ですが、実際はただの思い込みです。スポーツのようにルールが存在しているならともかく、喧嘩やお金の稼ぎ方(詐欺やマルチ商法等法律や倫理から外れたものは除く)にはルールはありません。自分がけがをする、最悪死ぬかもしれないときに、正々堂々と素手で勝負をする人は実際にどれだけいるのでしょうか。
逃げるという選択肢を取ったり、相手がナイフを隠し持っているかもしれません。
給料が汗水を流していない会社員よりも低いと言って何か変わるのでしょうか。何も変わりません。
商社やコンサルタントがどれだけ大きな影響力を誇るのか少しも想像がつかないのでしょうか。
正々堂々とすることが正しいと思うのは買ってですが、思い込みにとらわれて世の中の仕組みや効率的な行動をしないことで自分が損するだけだと僕は考えています。
正々堂々を意識するとリスクの取り方が下手になる
友人は同棲していた時にこんなことを言ってきました。
面接のとき何で明るく話すの。普段のお前と離れてるじゃん。自分の素で話せよ。
面接を何社も受けるのは不義理。
企業と電話する時明るくはなすの。素で話せよ。
就職活動をしていたことのある人なら分かりますが(友人は正社員としての面接を受けたことが無い)こんなことは誰だって行いますし企業側も理解しています。
自分をよく見せるのも自分が持つ技術の1つです。大卒予定の学生がこんな就職活動をしていたら、てきとうだったり、ブラック企業からしか内定がもらえませんよ。
確かに相手には不義理に見えますが見えるだけです。実際は不義理でも何でもありません。
相手に無駄な気を使いすぎて自分の人生をどぶに捨てていることになります。
思い込みと視野が狭くなっていることで、リスクの取り方が下手です。チップを全部賭けていることに気づかないのでしょうか。
人生はバーリトゥード(なんでもあり)
人生はなんでもありの勝負です。生まれた時点で有利不利は存在しています。親の財産や教育、どこに産まれるか、会える人達、全てが違います。ルールも憲法と法律と倫理位しかありません。
にもかかわらず、全員が同じようなことをして、同じ給料を貰ったとしたら、それこそ、自分の生まれた家柄で人生が左右されてしまいます。
自分で情報を集めて考えて実践して生きていくのが今の世の中です。正々堂々と勝負するのは個人の勝手です。しかし、繰り返しになりますが、正々堂々に囚われると、視野が狭くなり、自分に限界を作ることになるのではないでしょうか。
1番面倒なのは相手にも強要してくるたいぷです。自分だけ縛りプレイをしておきながら正々堂々というきれいな言葉を建前にして相手にも自分のルールを強要します。
馬鹿か卑怯以外に何がいえるでしょうか。
正々堂々に限らず綺麗な言葉に騙されないで
友人が言っていた正々堂々から僕個人の意見を話しました。場合によっては、へたな誤解を招きそうと思っています。
しかし、これだけは言えます。
世の中は正々堂々で片づけられるほど単純なものはほとんどありません。
正々堂々という言葉を普通に話しているときに使うのは世間を知らなさすぎるか自分が有利に立ちたいだけの卑怯者です。
皆さんの周りでもいるかもしれません。しかし、一見相手が正しく見えても無知である可能性が高いです。
皆さんは皆さんなりに全力で考えて全力を尽くすべきだと思います。それでは皆さんノシ。
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